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2005年4月 8日

死亡原因を語ることに意味はあるのか

喫煙ネタが掲示板などに振られると、必ずと言っていいほどフレームになる。私自身は喫煙者であるが、路上喫煙禁止、公共の場所での喫煙禁止というのは歓迎している。要は用意された喫煙所以外では吸わない一般的な喫煙者からしたら、その程度の法による制限はまったく問題にならないということである。とはいえ、食事の後では一服したいものだが、飲食店等での喫煙にケチをつける人は少なくない。飲食店に灰皿がある以上、「タバコ吸いたいな」と飲食店に入ってくる客を見越して商売していると判断してしまうし、そういう商売はしないというポリシーの店(スターバックスなど)もある。店がサービスとして提供しているものを享受するかどうかは客次第だが、他の客がそれを享受していることに、そうでない者がケチを付けるのはちょっと違うかな、と思う訳だ。どうしてもケチを付けたいなら店側に「そんな阿漕な商売するんじゃない」と言うべき。ただし結果として、集客力が損なわれて店の存続が・・・というところまでは知ったことではない。資本主義社会において消費者はサービスを選べるのである。
同様に健康保険に関しても、喫煙者の疾病治療のために保険料が値上がっているという意見は、非喫煙者割引のある保険が一般化してきた今、取るに足らない反論であると言えよう。保険がサービスである以上、何度も言うが消費者はサービスを選べるのである。

さてフレームの場において必ず出てくるのが「死亡率がn倍で各種疾病の・・・」と力説を始める輩である。この指摘は喫煙者にとって非常にどうでも良いことなのである。マナーを守れない喫煙者には絶対に理解して欲しいところだが、一般的な喫煙者は理解した上で嗜んでいる訳だし、煽りとして解釈されることの方が多いであろう。
人間の死亡率が100%である限り、事故であれ疾病であれ、原因が何であろうと人間は必ず死ぬのである。他人に迷惑掛けながら死んでいく奴は問題外だが、一人病室で死ぬ者の死に方まで言及するのはお門違いってものではないだろうか。喫煙者が数値を示したところで喫煙を辞めないのは、タバコを辞めたところで不死の体など得られないと考えているからだろう。タバコを吸っても吸わなくても、人間は必ず死ぬのである。健康保険も、事故等で体がミンチやペースト状になってしまい、現在の医療技術ではどうしようもない状態で死なない限り、必ず使うのである。

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このページは、sakura2kが2005年4月 8日 11:04に書いた記事です。

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