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2004年11月12日

おれおれ詐欺とその報道

毎日のように報道されている、所謂「おれおれ詐欺」だが、(実を言うとこの名称に違和感を感じているが、それはとりあえず置いておく)引っかかる方も悪いという風潮と、そのような報道がなされていることに疑問を感じる。アホかと。

腕力とか権力とかにモノを言わせる連中は、そもそもこんな手間のかかる詐欺なんざするわけがない。下調べだけで相当の労力が必要な上、電話を使うことからアシもつきやすい。何を恐れてそのような報道を行っているのか良くわからないが、ちょっと知恵のついたチンピラか、出会い系サイトを経営していた層に近い辺りのリストラ親父、残るは高校生の餓鬼どもだろう。もう一度言うが、きちんとした(という表現もおかしいが)詐欺を行う連中は、こういったアシのつきやすい陳腐な犯罪は犯さない。

CS衛星放送で、他国のニュース番組を見ると、具体的な犯人が出てきてない場合の「犯人への挑発」はなかなかの見物である。「正気の沙汰じゃない」とか「同じ国民として恥ずかしい」などなど。日本でもそのように報道すれば、絶大な効果が得られるはずである。

そもそも、日本は古来から「集団」の文化なのである。日本人は、無意識にどこかに属そうとする。何にその価値観を当て嵌めるかは個人差があるが、多くの人が曲がったネクタイとヨレヨレのスーツ、寝癖をつけたまま出社するのは恥ずかしく感じるわけだ。この羞恥心の源となるのが、これまた日本人的で、抽象的な概念である「常識」という奴である。常識から外れることを恐れる日本人は少なく無い、むしろ大半がそうであろう。東京駅の中央通路の真ん中で堂々と用を足せる人間は少ないだろうし、1万円札と千円札の区別が付かないことも恥ずかしく感じる人間がほとんどだ。そして、常識を逸脱した者というのは、ほぼ全国民が属する「常識人」という集団から爪弾きにされるわけだ。
それを分かっていながら、報道では犯罪者の人間性を疑うような表現を用いない。それがマスメディアの「常識」なのかもしれないが、害になる常識など必要ないのである。

で、いったい何が言いたいのかと言うと、こういったどうしようもうない犯罪を犯す奴を前に「騙される奴が悪い」という報道などすべきではない。「こういったどうしようもない犯罪を犯す奴が日本にいるのを恥ずかしく思う」とか、「こういう馬鹿は早く捕まえてブタ箱に送り、豚並の生活をしてもらいたい」で良いのである。誰かを特定して批判しているわけではなく、特定の犯罪の容疑者にカテゴライズされた人間を抽象的な人間として扱い、それを叩くということである。特定個人としての犯罪者の場合、警察が万能で無いために冤罪があるだろうし、数年前の松本サリン事件のように、無実の人間を吊るしあげてゴミ扱いしてしまった反省があるのだろう。

視聴率とか、ページビューだけを追うのではなく、マスメディアはメディアとしての存在異義をきっちり果してもらいたいものである。どうせ相手はチンピラに毛の生えたような馬鹿なのだから、政治的な面でも悪影響を及ぼすこともない。マスメディアの力で、犯罪を犯すことが恥ずかしくなる世の中にしてほしいものだ。

この記事では中学生が「おれおれ詐欺」をやって捕まったと報じられている。不可抗力で人を殺してしまったとか、そういう犯罪ではない。将来性のかけらもない頭の悪い餓鬼が、遊ぶ金欲しさに、年金受給開始も遅れて生活の厳しい老人から金を騙し取ったという話である。こういう餓鬼に温情を与える必要などなく、遠慮なく実名報道の上で実刑食らわせて当然なのである。
餓鬼でなくても、この手の詐欺は「手軽にできる」というイメージがつきまとう。だからこそ厳罰を与えて然るべき。人様の金を平気で騙し取るような奴は、それなりに長い期間、反省してもらわないといけない。再犯する者に関しては、一生かかって牢獄で反省してもらいたいものだ。

ちなみにウチの婆さんが騙されかけたが、普段携帯以外から電話がかかってこないのに、番号非通知でかかってきたことに違和感を覚え、騙されるには至らなかったようである。

今日の主張おわり。

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このページは、sakura2kが2004年11月12日 17:16に書いた記事です。

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